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明けましておめでとうございます

2010年01月11日 13:26

明けましておめでとうございます。

任期あとわずか、2009年度副会長の「職権乱用」でちょいとお邪魔します。


皆様の日々の鍛錬の様子、誠に尊いものと常日頃拝見いたしております。息・呼吸と言うもの、やはり指先の技術より大切な事かもしれません。

さて、私にとっての笛(古典・囃子)は「古来から受け継がれた呪力を発揮する魔法の道具」というような存在です。

「お祭」と「イベント」の違いは何か? その場所に、精霊や神様達が遊びに来ているかどうか、私はそう感じてなりません。

精霊や、神様達に来てもらって「ああ面白かった」と楽しんでもらう。そういう居心地の良い異次元空間を作り出すために、楽器や掛け声、歌、踊りなどで空間を震わせ、波動を広げている。そのために「音の出る、魔法の道具」を使うわけです。

神様と言っても様々な性格や存在の方々がいらっしゃることでしょう。精霊や神様達が「楽しかったなぁ、よきかな、よきかな」と喜ぶような空間や時間を過ごすという事は、私たちの心や精神も解けて、喜んでいるわけです。地位や名誉や、優劣や勝ち負けではない「精霊たちの喜ぶもの」。

神様達がどうやったら楽しんで帰っていくか。そのために、自分なりに良い響きやスペシャルな技などを編み出していくのではないでしょうか。

常に苦虫をつぶしたような心持ちでは、神様達は「なんかシケてんの」「つまんね~」といって相手にしてくれません。

江戸時代までの虚無僧尺八など、昔の日本には「内側に向けての音楽」もありました。津軽の錦風流尺八や神事の笛など、人に聴かせる事が第一の目的ではない音楽、自分の内面の存在や、精霊や、神様達と遊ぶための音楽。そんな世界は、明治以降の日本で科学的、都市的な進展を遂げる中、忘れ去られてきたのではないでしょうか。

自然界の神様や精霊たちが喜ぶと言う事は、「ロボットではなく自然界の生き物」である私たち人間の心も喜んでいるわけです。

酔っ払い親父がうれしそうに、楽しそうに踊りだす。そうさせている時の心の状態が一つの現れのような気がします。

自分の心が解けて喜ばずしては、神様達も楽しくない。太古の昔。楽器は皆、精霊や神様達と繋がっていたのではないでしょうか。

高度経済成長、バブル絶頂、やりたい放題楽しみましたが、人々の心は疲弊してしまいました。人間が科学を駆使して作り出した現在のテクノロジー三昧な生活の中「忘れてしまった世界」。明治より百数十年の間、置き忘れてきた世界がやはり必要とされ始めてきているように思います。

素晴らしい事に、私たち「お祭り人」は楽器や唄、踊り、山車を作るなどして、その異次元への入り口を開く力を身に着けているわけです。

祭りの場において、祭り囃子が完全に現代的な音楽となり、社会の通信簿をつけられる存在になってしまったら「人間だけのイベント」になってしまう。

それはもしかしたら、資本主義社会の中に組み込まれてきた世界中の民俗音楽や芸能が一度は直面した問題かもしれません。

2010年。漣は神様や精霊たちも「なんか楽しそうだなぁ」と思わず集まってくるような場所であってほしいと願います。

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コメント

  1. 聖霊大使 | URL | -

    神が集まってくるそんなサークル!
    漣會ってえのはこれぞ神との調和ですね。
    演奏中にジャワッとくるのが・・
    それなんですよ!

    それは貴方達の先祖、若しくは祭り好きの聖霊かもしれませんね。

  2. 世田谷の兄貴 | URL | -

    副会長の座は変わりませんよ!
    これからは、祭に出るのは大事ですが
    「学」もとりいれて行きたく存じます。
    となれば・・下田教授の出番です。
    当會の役員で是非、あられたい。

  3. 9C | URL | VuEjVCiY

    なんか違うんじゃないかな?

    あのな…
    言いたい事は解ります。

    けどね…神と一緒になる、この意味を本当に理解してるのかい?

    そうする為には、それなりの修行を積まないとなれません。
    それもそうですが、 「囃子方としての使命」は何ですか?

    これがしっかりしていないと、会としての活動が何の為にやっているのかぼやけてこないかい?

    知の部分は大切。
    しかし、一番大切なのは、自分で何を感じるか、それを各々なりの感覚ではっきり掴む事じゃないですか?

    いずれ議論になるとは思いますのでこの辺で終わります。

    私個人はその辺ははっきりしたものを持っています。

  4. ゆうじ | URL | /r2FRPR2

    まいど

    9C さん

    コメントありがとう。

    議論するほどでもなく、「私は私の考え」というまでのものですが、質問をされましたのでお応えします。

    10人いれば、皆見ているものが違う。というわけで、9Cさんの熱血さもまた凄いものと感じております。

    さて、私はどちらかと言うと、神様はもともとみんなの中に繋がっているという感覚が好きです。しかも、様々な神様が自然界の中にはいらっしゃいます。

    これが私にとっての「実感」です。

    修行と言うと何か特別な事のように聞こえる場合もあるけれども、しかし「いかにもな雰囲気」のものだけでなく、各人の生活の中において様々な形でありえるかもしれない。

    わたしは「人に誇れる大層立派なもの」や「確固たる信念や目的」でなくとも、それはそれで良いのではないかと考えています。

    そして、迷う事や、うろうろする事は「修行」にとってもっとも大事な事と私は思います。それが私の今までの実感です。

    囃子方としての使命は何か?とお聞きになられた。

    囃子方の使命とはなにか?。

    それは”囃す事”だと思い、それが私の信念です。

    ハヤス、とは「何かの主役」を引き立てる事。または、その場所や空間をにぎやかにする事。そして、それは祝福や浄化や祈りに通じると私は感じます。

    神社で打つ拍手やお賽銭の投げ方に点数はつけられない。私は、そんな価値観が好きです。


    とは言え、ステージ演奏など祭の場以外での場面につきましては、いわゆる「現代的な楽器演奏者という考え方」もしない訳にはいかなくなってくる事でしょう。しかし、それはあくまでも「体裁」の問題であり、根底ではどこにおいてもお祭なのだという見方が、私の基本です。


  5. 9C | URL | -

    これでこの話は打ち止め…と言う事で。

    私の信念…

    私は囃子方であり、それ以上でもそれ以下でもない。

    確かにステージや余興もあるけれど、それはオマケ。

    あくまで祭本番できっちり吹ききる事が使命です。

    極論ですが「学」は今は要らない。
    何故なら、後からいくらでも得る事ができるから。
    ある意味、小枝です。
    肝心の幹がしっかりしていないと意味がない。

    そして、色んな地区の囃子を奏でるのは自分の為になる事だけれど、本当の囃子はその地区の囃子方でなければできない。

    これは最近特に感じている事です。

  6. 松島艦隊 | URL | -

    9c殿
    打ち止めはありません。
    この恐怖体験こそ、笛の神髄習得への登竜門なのです。
    笛は良く聴くと、ヒトの声に聞こえてきます。
    これこそ霊の叫びなのです。
    恐怖の体験、実話を脳裏に描くことで笛の真骨頂が築けるのです。
    続編語ってよろしいですね・・・・。
    ウヒヒヒヒイヒイ

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